
日本酒ファンの皆さんこんにちわ!
暦はすでに雨水を迎えましたが、今冬の寒気はまだまだ日本中を凍え果てさせていますね。
でも季節は確実に春に歩みを進めており、今回は真壁の古い町並みに飾られるひな祭りの風景と、筑波の名水で醸されるお酒を紹介します。
真壁は、明治以降石材業で町の暮らしを培ってきた
石材や農産物を運んだ筑波鉄道も今はなく、町は陸の孤島化している
県西部の3つの町が平成の大合併で誕生した茨城県桜川市、その人口は2万人。 真壁町はその一つで、筑波山の西麓に位置します。
東京から真壁町に直接鉄道で行くことはできず、東北本線小山経由で水戸線の岩瀬駅からバスとなります。

又はつくばエキスプレスの終点つくば駅からは、バスを2本乗り継いでいくことになります。 まさに、陸の孤島なのです。

実はその昔、親戚の筑波大受験に際して筑波鉄道に乗車したことがある。 その後1987年には廃線となり、いやはや時の流れを感じるね。
今では土浦から岩瀬までの筑波鉄道の廃線跡にはサイクリングロードが設置され、霞ケ浦サイクリングロードへと繋がっています。

中国製が国内を席捲も、真壁は丁寧な加工とデザイン力で頑張る!
さて今回の旅はいつもの酒旅ではなくて、主たる目的は国産の墓石を求めての旅なんです。
笠間市・桜川市周辺は日本でも屈指の石材産地。 筑波山系の加波山一帯は真壁石とよばれる花崗岩の産地で、日本有数の石材業の町なんです。
石材加工店さんへは岩瀬駅からバスで向かいます。 車窓からは、大きな石灯篭や墓石を展示した石材屋さんがあちこちに見られます。

2020年時点で茨城県は全国2位の石工品出荷額を誇りますが、バブル期を境にして大きく下向し、1970年のレベルにまで大きく落ち込んでいます。

日本の石材産業は戦後墓石需要などから発展したものの、採石においては1960年代後半から価格競争が激化し、公害問題や良材の枯渇などから安い海外の原石輸入が増加し空洞化。 さらに1995年を境に製品輸入が原石輸入を上回り、今や墓石は9割が外国産で中国加工となっている。
『お墓の消費者全国実態調査(2024年)』によれば、お墓の種類では樹木葬が48.7%、一般墓が21.8%、納骨堂19.9%となっています。
お墓の清掃管理が大変とか跡継ぎがいないとか需要構造が変わり、樹木葬や納骨堂が増えてきて墓石の需要は減少してるんですね。
なので、地場の採石や加工業者さんも販売業への転換を強いられ、今回伺うお店もネット見積りやデザインの洋風化、そして施工も広域化されています。


さて業者さんと相談の結果、墓石は真壁青小目の洋風に、架台外柵は明るくて白い石種の稲田石を使ったデザインにしました。
電話セールになびかず根気よく探せば、日本の原石で国内加工して貰える良心的な業者さんもあるんです。 海外モノでは心が通わず、ご祖先様は喜びません。
何代も続くお墓ですからネットで即注文というわけにはいかず、まずは現物確認が大事で、日本の風雪に耐える日本モノ、本物を確かめに来たのです。

お墓も仏壇も国内産業が空洞化して今や外国産が9割。 この国にトランプみたいな自国本位に考える政治家もいなくて、国内産業は丸裸で斜陽衰退化、挙句はハゲタカに狙われている。
幕末から明治の風情を伝える町中で、おもてなしの心で繋がれる『ひな祭り』
真壁の町は400年前に形成され、その町並みは今日に至る
ところで『真壁』の地名は全国にありますが、これは1500年前に天皇の領地であったことのお印で、その名が残っています。
平安時代の終わりころには、常陸平氏の一族が真壁氏を名乗り、400年の長きにわたりこの地をおさめ城下町が形成されたのです。

その後関ケ原合戦後には真壁氏が角館へ去り廃城となりますが、江戸期に浅野氏が近世城下町へと整備を進め今日に至ります。
江戸期は、大阪や奈良、岡崎から木綿を仕入れて市が開かれ、会津や米沢など東北の商人を集める木綿流通の拠点として繁栄しました。
そして忘れ去られたかのように、江戸から明治にかけて建てられた門や見世蔵が、歴史ある町割と共に今に息づいているんです。
その町並みには101軒もの国指定の登録文化財が残り、2011年の東北大震災の被害を乗り越えて、町の人々は復旧維持してきたのです。
街はひっそりと佇み、モノクロトーンの写真みたいに動きを止めている
石材屋さんが真壁中心街まで送ってくださり、早速古の町巡りスタートです。
まずは、町の中心部にある真壁伝承館で町の歴史を知り、町の地理を頭に入れます。


そうこうしているとお昼になり、案内窓口には人がいなくなり自前での街歩きとなりました。
目の前の酒屋さんの看板、地酒の『公明』が気になります。

まずは、景気づけに村井醸造に直行しますが、あいにく昼休みで誰もいません。
仕方なくおぼしき探偵志向で、歴史的建造物めぐりと行きますか・・・

こちらは、国登録文化財『根本医院門』文政年間(1818-1830年)頃の建設。 庭木の幹の太さも年期がはいってますね・・・
続いては、国登録文化財『伊勢屋旅館』。 明治中期に料亭「勢州楼」として建てられました。 宿泊や食事にくわえて作品展やイベントも行われています。



すこし歩きますと同じく文化財の『潮田家見世蔵』。 明治43年築の重厚な黒漆喰塗りで、中には呉服商の広い帳場があるそうですが、今日は閉戸により中を見ることはかないません。
さて反対側の角地にある『旧高久家住宅』は肥料商などが営まれていたそうですが、現在は改装されて市のチャレンジショップとなっています。

それにしても、ひと気がありません。 お昼ご飯が食べれるところはなさそうなので、踵を返し町の中心街へと向かいます。
こちらは立派な門構えの木村家住宅見世蔵。 江戸期末期の切妻造・平入の土蔵造建築です。

そして、町のランドマークとして親しまれている『旧真壁郵便局』。 当初は第五十銀行の支店だったそうで、昭和初期の飾り気のない洋風コンクリート造りです。

もうどこを見ても、時が止まったかのような江戸期から昭和の町並みです。 車が少ないので会津とか角館とも違う、静かな町の雰囲気です。


終戦末期の土浦海軍航空隊が、筑波山の上空から侵入したB29の大編隊から空襲を受けている。 真壁は戦火を免れ今があるのだけど、ほんと今の世のウクライナやガザが可哀そうすぎるね!
雛祭り前で食事処はお休みが多く、ようやくあちこち探し回って、名前は割烹ですが町の食堂的なメニューがあるお店へ入りました。
ご主人は弁当作りに忙しいらしく、こちらがあれこれ考えていると生姜焼きを勧められ、酒蔵の利き酒を残しているのでビールをいただきます。
お漬物やお茶の接待で、故郷に帰ったような和みの時間を味わう雛祭り
『真壁にきてくれる人をもてなそう』との発案から『町中にお雛様を飾ろう』と始まった『和の風のひなまつり』。
平成15年の1回目は40軒程度だったのが今では100軒以上となり、観光客も7万人が訪れるそうです。



今の日本はどこの町も物売り優先の風情が漂っていますが、ここはインバウンダーが少ないのでとても長閑です。
2月4日から3月3日までのひな祭り期間中は、町の人はお漬物やお茶の接待で遠来のお客さんをオモテナシしてくださるそうです。
そして祭りのクライマックスには、経木の舟に乗せた折りびなを川面に浮かべ、流れゆく様子を見守るんだとか。


筑波の御影石で磨れた名水で仕込むお酒は、昔ながらの酸味のある辛口酒
国指定の登録有形文化財が4つもある村井醸造
さあ、ようやく町中にある『村井醸造』にやってきました。 門の正面に構える大規模な土蔵造の店舗は、明治期のものです。
麹室がある石蔵と瓦葺木造の長い脇蔵は大正時代のもの。 そして町の景観を印象付ける高さ22メートルの煙突は昭和期のもので、以上4つが登録文化財となっています。



村井醸造さんの創業は江戸時代初期。 近江商人の初代が、関東・東北へ上方の商品を運ぶための中継拠点として出店したと記録が残ります。
まさに地域を代表する酒蔵であり、内部を巡ってみますとかなりの広さがあります。
さて仕込み水は、筑波山系の御影石の花崗岩地帯を浸透して湧き出る清らかな伏流水を井戸から汲み上げています。
若い醸造責任者が立ち上げた酒『真上』は、食中酒をめざす
さあ、酒蔵のお姉さんに利き酒をお願いします。 数種類なら無料、全部飲むなら500円とのことで、全部は飲めないとはわかりながらもお金を支払います。
蔵の代表銘柄は『公明』で、おもに葬祭用のお土産なんだそうです。 石材屋さんが旨いって言っていたのはこれですね!

『公明』や『真壁』といろいろ飲み進めますが、ちょっとクラシックな味わいでまとまっています。
そして若い醸造責任者が立ち上げたブランドが『真上』。 やや辛口ですがフレッシュ感もあります。
『公明』が葬祭用だったので、こちらは含み香のあるハレの食中酒を目指しているようです。
5、6杯飲んでみて、意外と旨味と辛みが感じられた『真壁』をお土産にして、歴史ある酒蔵を後にしました。

まとめ
江戸期からの町割りや登録文化財の建物が数多く残された町『真壁』。 ゆったりとした時間の流れを感じます。
図らずも、日本の石で日本人が加工した墓石を求めて、はるばる電車とバスでたどり着けば、連綿と続いてきた日本人の生活様式を思い起こさせてくれました。
雛人形は子供をけがや病気から守り、将来幸せな家庭を築けるようにという両親の祈りを込めて飾られるもの。
今や日本を訪れる外国人は、モノからコトへと旅の目的が変化。 日本の人たちの優しい心を是非感じ取って欲しいものです。
それでは皆さん今回はこれで失礼します。 今回も最後までお読みいただき有難うございます。