日本酒ファンの皆さん、また酒旅ファンの皆さんこんにちは!!
トラマサの酒旅、今回は故郷山口防府への歴史ゆかしい酒旅を紹介します。
山口と言えば維新の地、でも江戸・明治の時代だけじゃないんです。
防府の地名は、『周防国府(周防府中)』に由来しており、奈良時代からの古い歴史を刻む地名、区割りも残っているんです。
もちろん、防府の銘酒蔵も忘れずに紹介しますよ。
故郷の青い海で獲れたプリプリの魚で、防府の銘酒『錦世界』を飲む
昨年母の見舞いに、何度も何度も足を運んだ山口への旅。 東海道新幹線はひかりで、新神戸でさくらに乗り換えました。
以前『湯田温泉さけまつり』で旅ルートは詳しく紹介していますので、今回は省略させていただきます。
いつもの潮彩市場で、お昼ご飯はプリプリの『さしみ定食』!
防府到着後は母の見舞いを済ませて、道の駅『潮彩市場』にある食堂で、お刺身定食をいただきます。
なんと1300円とリーズナブルで、こりこりのお魚の刺身がたっぷりなんです!
食堂のデッキからは、ご覧の通り綺麗な三田尻湾が見渡せます。 真っ青な海を見ながらの食事は大満足間違いなしです!
ここ三田尻は、江戸時代毛利藩の水軍根拠地、御船蔵があったところ。 高杉ら維新の志士たちは、3日掛けて萩からここまで来たのです。
そして階下にある魚屋には、新鮮なお魚がたくさんありました。
防府唯一の酒蔵『竹内酒造場』で熟成酒『錦世界』を購入
墓参りを済ませて、防府で唯一の竹内酒造場さんへ出かけました。 酒蔵へ伺うのは初めてで、ドキドキします。
竹内酒造場さんは、最近まで酒造組合に加盟していなかったため知名度はないものの、1200年余の歴史ある防府天満宮の献酒を造られているんです。
今日は日曜日、なので販売所は閉まっていましたが、声をかければ社長さんが荷造り中でした。
奥の方から、息子の杜氏さんも出てこられて色々と話を聞くことができました。
穀良都の稲わらを見せてもらいましたが、ナント人の背丈くらいあります。 確かに長稈ゆえ、栽培が難しそうですね。
そして仕込み水まで、味わせていただきました。 佐波川の伏流水、とても甘いですね。 一方岩国の錦川水系は辛口なんだそうです。
さて、肝心のお酒は色々迷ったのですが、防府の池田屋酒店さんのOEMブランド『周防美人』と『錦世界』を購入して家路につきます。
どちらも、3年物の熟成酒。 しっかりと発酵させて力強い酒に仕上げたスゴ技の商品です。
さあ姉の家に帰って、早速『周防美人』をいただきます。 何ともふんわりとした酸味のある熟成の味わいは、今日酒蔵でいただいた井戸水のような優しい甘みでした。
参考記事:山口防府の日本酒『錦世界熟成純米吟醸』は風格ある酸味とキレが素晴らしい!
古の萩往還の道を歩き、日本最古の天神様と旧毛利邸で雪舟の絵を愛でる!
江戸期参勤交代の道、萩往還の道は3日かけて山道を歩いてきた
さて翌日は、萩往還の道を少し歩いてみましょう。
萩往還は、日本海側の萩と瀬戸内側の三田尻港を結ぶ全長53キロの道。 防府の佐波川には、船をつないで渡る船橋が1941年まであったそうです。
往還道は、佐波川の橋を渡り突き当たった山陽道を左にすすみ、天満宮下で右に曲がり三田尻港まで進んでいます。
案内板にある黄色のゾーンは宮市と呼ばれ、中世から鳥居前町として商業が栄えたところ。 また江戸期は藩の本陣が置かれていました。
古式ゆかしい催事が行われる日本最初の天神様にお参り!
防府天満宮参道の大鳥居まで、やって来ました。
折角なので、菅原道真を祀った防府天満宮、日本で最初の天神様に参拝してみましょう。
創建は904年、北野天満宮(京都)、太宰府天満宮(福岡)と並び日本三天神とも呼ばれています。
古式ゆかしい催事の中でも、荒祭りとして知られる11月の御神幸祭(裸坊祭)が有名ですが、学問の神様として合格祈願や学業成就で訪れる人が多いみたいですね。
旧毛利家本邸の2階に上れば、萩へ封じられた殿様の怨念が見えてくる
大鳥居まで降りてきました。 この石鳥居、実は古くて1629年に長州藩初代藩主毛利秀就の寄進によって建立されています。
さて、『うめてえらす』(観光案内所)で自転車を借りて、歴史をとどめる『旧毛利家本邸・毛利博物館』に行ってみましょう。
『旧毛利家本邸』は、明治維新後最後の藩主となった毛利元徳の居宅として、新たに防府に建てられたもので、大正5年に竣工しています。
邸宅は、江戸期の大名邸の建築様式を継承した書院造の和風建築ながらも、発電設備や浄水設備、水洗トイレなど、当時の最先端の設備が導入されています。
名勝指定面積はナント84,000㎡と広大。 回遊式の庭園では、さくら、さつき、紅葉、松など四季折々の景観を楽しめます。
一方博物館には、毛利家伝来の宝物2万点が所蔵され、なかでも国宝『雪舟・四季山水図』はつとに有名です。
雨降る古里を裸足で歩く、山頭火の郷愁の想いは深い
酒造場の倒産と離婚、出家などを経て放浪の旅へ
ところで皆さん、防府が生んだ漂泊の俳人『種田山頭火』をご存じですか?
山頭火は、五・七・五にこだわらない自由なリズムの俳句『自由律俳句』の代表的俳人です。
今日は天満宮下にある『山頭火ふるさと館』で、その生涯や作品を少しく学び、生家跡などを巡ってみましょう。
山頭火は850坪もの大地主の長男に生まれるも、9歳の時に父の放蕩で母が自殺。 その後早稲田大学文学科に進みますが、2年余で神経症を患い帰郷します。
この頃種田家の家計は父の米相場投機失敗で傾き、父は家屋敷を売り払って大道村の山野酒造場を買い受けます。
山頭火は家督を相続し結婚、長男を設けますが、俳句に傾注。 杜氏にまかせっきりの酒造は腐造を起こしてついに倒産、35歳の山頭火は句友をたよって熊本に移ります。
その後、この倒産がもとで養子離縁された弟も自殺。 東京へ仕事を求め転々とする間に妻とは離縁し、関東大震災にあって、再び熊本に戻ります。
ところが泥酔により市電を止めたことで参禅の道へと歩みますが、その孤独に耐え切れずついには出家得度。 すべてを捨て45歳で托鉢・乞食の旅へでます。
その後句友に支えられながら、漂泊の旅と庵を結びながらの句集を刊行した山頭火は、1940年松山の庵で59年の人生を終えました。
自由で心にしみる句碑は、墓所寺内に18、全国には600基もある
旅と句と酒に生きた山頭火が、放浪しながら全国のあちこちで作った俳句は8万4千句。 今も人々を魅了し続けています。
市内から全国まで、山頭火が歩んだ縁のある地には多くの句碑があり、なんと全国に600基以上もあるそうです。
山頭火の墓所は、佐波川の近くの護国寺にあり、こちらには18基の句碑があります。 市内の句碑マップも作成されていますので、是非歩いてみて欲しいですね!
そんな中から、トラマサのお気に入りの句を選んでみました。 まずは代表的な句から・・・
『分け入つても分け入つても青い山』 防府 山頭火の小径句碑
『雨ふるふるさとははだしであるく』 防府 戎が森公園句碑
『うまれた家はあとかたもないほうたる』 防府 生家跡句碑
『うしろすがたのしぐれてゆくか』 防府 護国寺句碑
『海よ海よふるさとの海の青さよ』 防府 末田窯業句碑
そして酒心に沁みるのは、こちらの句・・・
『月が酒がからだいっぱいよろこび』 協和発酵防府工場正門前句碑
『酔うてこおろぎといっしよに寝ていたよ』 防府市大道 元種田酒造場前
『ふるさとの水をのみ水をあび』 防府駅 天神口ロータリー句碑
皆さん、お気に入りの句 見つかりましたでしょうか?
旅のあとがき
その後幾度かの吸収合併をへて、種田酒造場の酒蔵を引き継いだのは山口市の金光酒造さん。 もちろんメインブランドは『山頭火』です。
『山頭火』が発売されたのは、約50年ほど前。 当初は山頭火自身の名前も売れておらず、永六輔さんのラジオ番組紹介で名前が広まりました。
その後『山頭火顕彰会』などの顕彰活動やフォーラムの開催などによって、全国にファンが増えていったのです。
流転の旅の中で作り続けた山頭火の俳句は、客観写生でなく心の内面を詠むもの。 孤独、肉親、望郷の想いを抱かせる句は、まさに現代に通じるものでしょう。
母をおくり生家の片付けをしながら、『うまれた家はあとかたもないほうたる』の句に、寂しさを覚える今日この頃です。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。