日本酒ファンの皆さんこんにちは!
今回は、日本酒の2大銘醸地京都は伏見で生まれた新ブランド『十石』を紹介します。
松山酒造さんは、長らく月桂冠に未納税移出する普通酒を造っていましたが、少しの休止を経て正真正銘の京都地酒を育てようと挑戦を始めた酒蔵さんです。
さて『十石 純米吟醸』、一体どんな味わいなんでしょうか?
『十石』は穏やかで優美な味わい、そしてふんわりと余韻が長い
復刻米『祝』や京都酵母などで、京都テロワールの酒を造る
『伏見』はかつて『伏水』とも書かれ、良質の水が豊富に湧き出る地。 桃山丘陵をくぐった清冽な水が、敷地内の井戸から汲み上げられています。
水質は、カリウム、カルシウムなどをバランスよく含んだ中硬水で、酒づくりに最適の条件を満たしています。
酒米は京都産の『祝』。 1950年代後半には伏見で一番多く仕込まれていたそうですが、1974年以降栽培が難しいため姿を消しました。
その後京都の米で酒を造ろうという機運が高まり、京都府や伏見酒造組合の力入れで栽培法の改良などを行い、1992年に復活。
『祝』はやわらかく溶けやすいのが特徴のため、吸水時間の見極めが大事で、少し控えめで上品な甘さがよく出る特徴があります。
《原料米》京都産米『祝』100%
《精米歩合》60%
《酵母》京都酵母『京の琴』
《日本酒度》- 《酸度》-
《アルコール度》16度
《造り》 純米吟醸/火入れ
《お値段》720 ml 1815円
《製造》2023年9月
そして酵母には、京都市産業技術研究所が開発した『京の琴』が使われています。 青リンゴや洋ナシの香りを生むそうです。
さらに種麹には、創業360年の京都唯一の『菱六もやし』が使われています。
水も米も麹も、そして酵母まで全て『オール京都』のコンセプトで造られた手作りの味わいですが、意外にスマート。
ライトボディで、甘・辛・酸のバランスがとてもよく取れていますね。 飲み飽きしない味わいは、ほのかな余韻が長く続きます。
活性炭を使わずに仄かな香りと旨味が残されている。 しつこくなく落ち着いていて、旨い水を飲んでいるようだ。 ニュー伏見酒誕生かな?
『十石』と今夜の肴
京都には精進料理や懐石料理など様々な料理がありますが、その基本となる味は昆布や鰹だしの『薄味』。
また四季折々の素材には、春はタケノコやワラビ、夏はアユやハモ。 秋は松茸や栗、そして冬は漬物やブリ、フグと枚挙にいとまがありません。
そんな季節感に包まれた料理の邪魔をしない食中酒として、京都の酒の味が磨かれてきたのでしょうか。
我が家のだしは、魚介系の『あごだし』。 肥えた『鯛の煮つけ』に、オーソドックスで余韻の長い『十石』の酒味が、秋の夜長を楽しませてくれます。
『松山酒造』の紹介
松山酒造は1923年に三重県名張市での創業。 1958年に月桂冠グループの傘下に入り、翌年に京都市伏見区下板橋での借蔵にて酒造りを行います。
その後1967年に移転した場所は、かっての江戸期の薩摩藩屋敷。 鳥羽伏見の戦いで武家屋敷は焼失しましたが、1912年月桂冠がその跡地に酒蔵を構えてました。
そんな由緒ある地において、1990年頃までは但馬や能登杜氏が酒造りを担い、その後は月桂冠社員さんらが普通酒を造っていました。
ところが、設備の老朽化やコロナ禍による需要の減退から2020BYで生産をストップ。 会社存続のための方策を検討します。
『解体』か『再生』か。 出された答えは規模を縮小し、特定名称酒に特化した地酒蔵へと変身する道でした。
経営陣から再建を委ねられたのは、月桂冠大手二号蔵の製造責任者だった高垣幸男氏。
高垣さんは、1966年生まれの57歳。 京都大学農学部を卒業後、微生物の世界が好きで月桂冠へ入社しました。
米国月桂冠を経て2006年に本社に戻り、2011BYには本社内蔵で出品した酒で、全国新酒鑑評会で金賞を初受賞。 その後1号蔵や2号蔵で計8回の受賞に輝いています。
託された大エースは、『大手の酒蔵月桂冠では出来なかった、自らが新ブランドを育成する願ってもないチャンス』と捉え、残された酒造り人生に思いをかけます。
蔵のコンセプトは、『小回りが利く酒造り』と『海外でも認められる付加価値の高い酒造り』。 そして『京都にこだわりぬいた地酒』でした。
5年後に600石を造る計画は、2023年1月にスタート。
ステンレス製の真新しい麹室を新設し、10キロ盛りの箱麹を採用。 2.1ℓの小型タンク4基で高垣さんがほぼ一人で造り始めたのです。
まずは22BYで造った50石は早々に完売。 23BYは100石を予定し、知名度も上がり月桂冠から若手社員の出向を受け入れる日も近いようです。
まとめ
酒処伏見の歴史は、関白秀吉の伏見城下町の造営にさかのぼり、京、大坂、堺につぐ大城下町が形成されてのスタートとなります。
徳川家光が江戸に移り城は取り壊しとなりますが、旅人や物資の往来が盛んになるにつれて酒造業も発展します。
この頃、月桂冠の祖『笠置屋』が操業。 伏見には83軒もの酒蔵がありましたが、幕府や公家に商機をそがれ、『伊丹酒』や『灘酒』に市場を席巻されます。
宿場町の地酒であった『伏見酒』が東京へ進出したのは、東海道線が開通した明治中期になってから。 おだやかでソフトな風味が、漸く2大銘醸地の地位を確立したのです。
さて、蔵が立つ現在地は江戸期は薩摩藩邸があった処。 図らずも当蔵は、需要の低迷から廃業の危機を迎えましたが、他の地にはない日本酒を造るポテンシャルがあります。
『水、米、麹』そして『人』。 何度も危機を乗り越えて、それらを繋いできた『歴史と文化』があります。
小さな川舟が大海へ漕ぎ出すように、やがて大成したい思いがこもる『十石』の酒銘。 これからも応援したいと思います!
それでは皆さん、今回はこれで失礼します。 今回も最後までお読みいただき有難うございます。